わたしの良い子
著 者:寺地はるな
出版社:中央公論新社
ISBN13:978-4-12-005230-9

わたしの良い子

書評キャンパス―大学生がススメる本―

佐藤みゆ / 二松学舎大学文学部国文学科3年
週刊読書人2021年11月5日号


『わたしの良い子』の主人公である、小山椿はかっこいい。

 自分の尺度で物事を考え行動する。そんな彼女の生きざまは見ていてこの上なく爽快に思える。

 椿は、自身とは対照的に自由奔放な妹・鈴菜の息子である朔を育てながら、文房具メーカーの経理として働いている。鈴菜が二歳の朔を託して沖縄の彼氏の元に行ってしまって以来、朔の親代わりとして二人で暮らしているのだ。

 彼女の潔い性格がよく分かるエピソードを二つ紹介したい。

 小学校に上がった朔にサンタクロースについて尋ねられた椿は「大好きな人にプレゼントをあげることとか、そうしたい気持ちのこと」と答える。「サンタクロースはいるよ」と答えてしまえばその場は楽だが、椿は自分が信じていないことを朔に言ったら、嘘をついた事実に自分自身が苦しむと考えた。私は、サンタクロースという、子どもにとって扱い方が繊細な話題でも、嘘をついたり誤魔化したりせず、投げかけられた問いに誠実に向き合い、自分の言葉で伝えた椿のあり方に脱帽した。

 また、職場の飲み会で、酔った部長に触れられたくない話題をしつこく振られているのに何も言えずにいた、同僚の杉尾を見かねて、椿が代わりに「やめてください」と言う。

 立場上逆らいにくい部長、盛り上がっていて壊しにくい飲み会の雰囲気、そんなものは椿には関係ない。二次会に行こうと盛り上がる場の中でもあっさり離脱し、「ノリ悪いなー」と言われても「ええ、悪いんです、これが」と受け流す。「空気を読まない人間」と思われることを恐れない椿はとてもかっこいい。

「もっと怒っていいんだよ。怒ればいいんだよ。おかしくない時に笑う必要なんかない」

 これは、椿が飲み会の後、杉尾に向けて言った言葉だ。

 嬉しかったら笑う。嫌だったら怒る。当たり前の感情表現ではないか。自分に嘘をついて生きるのはとても苦しい。空気や世間体が枷となり自分に嘘をつく息苦しさを味わったことがある人は、この言葉にはっとし、救われた気持ちになるのではないだろうか。

 人は、自分勝手で配慮がないと思われ、嫌われることを恐れて、空気を読み、時には自分を押し殺す。しかし自分に正直な椿の周りから人が離れていくことはないし、むしろ周囲の人々は、どこか羨望の眼差しをもって、彼女と接しているようにさえ思える。きっと本音では、彼女のように自分らしくありたいと思っているからだ。空気や雰囲気に流されないということは、自分の頭で考えて行動するということで、それは実は難しい。もし椿が空気を読むことに慣れて、自分で考えることを放棄してしまっていたなら、サンタクロースについて聞いた朔に誠実な対応をすることは出来なかっただろう。

 自分らしく生きる椿も、決して周りに影響を受けない訳ではなく、子育てと恋人の高雄との関係に悩むこともある。周りと同じことをするのが苦手だったり学年相当の漢字が書けなかったりする朔と、他の家の子たちを比較してイライラしてしまったり、朔を育てながら付き合っていく上で高雄との価値観のズレを感じてしまったり、上手くいかないこともある。しかし、椿は自分の想像の及ぶ範囲で相手のことを思いやり、万事解決とはいかないまでもそれらに向き合い折り合いを付けていく。

 また、椿は「良い子」という言葉に「大人にとっての良い子像」の押し付けのようなものを感じ抵抗感を覚えていた。しかし、物語の終盤で、朔は朔として生きているだけで十分良い子だと気付き、「朔は良い子だね」と言うことが出来るようになる。これは、椿自身についても椿として生きているだけで十分なのだと自己肯定することが出来た瞬間だったのではないだろうか。

 小山椿はかっこいい。私は彼女に、自分らしく強く生きることや、自分の出来うる範囲で相手を尊重することを教えてもらった。何気ない日常を過ごす中でも、彼女のようでありたいと思う。

★さとう・みゆ=二松学舎大学文学部国文学科3年。マイブームは焼いた鮭。