アダルト・チルドレン 自己責任の罠を抜けだし、私の人生を取り戻す
著 者:信田さよ子
出版社:学芸みらい社
ISBN13:978-4-909783-83-7

愛情という名の支配を解く

ACが照らす家族と社会の価値とありよう

野坂祐子 / 大阪大学大学院人間科学研究科准教授・教育臨床心理学
週刊読書人2021年11月19日号


「自分は、実は苦しかったのだ」と気づくことが、なぜ、これほど難しく、そして大切なのか。

 大人になり、自分の人生を生きられるはずの人たちが感じる生きづらさの源は、しばしば不安と緊張に満ちた子ども時代にある。父の酒臭い息と母のため息のなか、息を殺して生きる子ども。「あなたのためよ」という母の言葉によって、失われていく子どもの言葉。真綿で首を絞めるように、愛情という名の母親の支配が子どもの人生をからめとっていく。「苦しい」というつぶやきさえ、口にするのに罪悪感を覚えるほどに。

 アルコール依存症の親のもとで育ち、生きづらさをかかえる大人を意味するアダルト・チルドレン(AC)という言葉が知られるようになって三〇年余り。一九八〇年代から飲酒問題に関わり、ドメスティック・バイオレンス(DV)や性虐待など、家庭内のさまざまな暴力を「関係性」から見据えてきた信田さよ子氏による本書は、『「アダルト・チルドレン」完全理解――一人ひとり楽に行こう』(一九九六年)と『コントロール・ドラマ――それは「アダルト・チルドレン」を解くカギ』(一九九七年)をもとに、二五年間のさらなる臨床経験をふまえて書き直されたACの集大成的な論考である。

 アルコール依存症の子どもとして育ったACは、母のうつろなまなざしや父親の冷ややかな視線、自分に向けられる期待を敏感に察しながら、家族を壊さないように生きていく。何もできない立場でありながら、何かしなければならない子どもとして「責任者、調整役、順応者」になっていくことは、子ども時代を失うというだけではない。親が「インナーペアレンツ」(内なる親)として棲みついて子どもの「血肉」となり、自分自身が内から失われていくことなのである。

 こうした重圧と見えない葛藤こそが、子どもの人生に深刻な影響を及ぼすという。「血肉」として侵入してくる親の支配の様相は、現代のトラウマ理論のあやうさも指摘する。関係性におけるトラウマは、暴力や暴言といった「できごと」よりも、「関係性」の有毒性に着目しなければならない。親の態度を「原因」と捉えてしまうと、トラウマを与えたと責められた母親は、自分の正当性を挽回しようとさらに子どもの世話をして、コントロールを強化する。また、「トラウマのせい」とそれだけを見つめることで、自分自身を見つめずにすむという。関係性におけるトラウマは、「血が流れるような傷として対象化するより、血液そのものに溶け込んで自分の一部になっている」と表現されているように、生々しく、混沌とした傷つきであることがよくわかる。

 また、傷ついた自己を癒すイメージとともに用いられるインナーチャイルドの概念も、自分を自分で癒さなければならないことは「逆に人間関係の切断や孤立化の反映なのではないか」と著者は指摘する。自己完結した回復のストーリーは、「自己選択・自己責任の罠」だという。そうではなく、語られたストーリーがだれかに聴かれ、受けとめられることによって、人は自分自身の人生を取り戻す。それは本書で紹介されるグループ・カウンセリングの描写が雄弁に物語っている。

 ACだと自認する人に限らず、親に傷つけられなかった人はいないだろう。「家族というものは、そんなにいいものでもないし、安全でもない」ときっぱりと述べられているように、家族を聖域と捉えることの問題が明らかにされた今、私たちは家族の幻想を手放し、支配の連鎖を断ち、お互いに頼りながら自立していく関係性を築くことが求められる。だれもが、まずは親からの影響に向き合う必要がある。

 ACであるかどうかは人に決めてもらうものではなく、自分の気づきによって初めて「親とは違う人生を歩み始めることができる」。これもまた、現代の診断基準偏重の臨床に対する著者の警鐘といえよう。

 カウンセリングで出会った一人一人の声にじっくり耳を傾ける著者の視線の先には、つねに家族というシステムと社会構造がある。「仕事熱心、良妻賢母、勉強熱心」という〝望ましい〟家庭のいびつさを浮き彫りにすることによって、生きづらさを感じるのは〝あたりまえ〟だという新たな地平が見えてくる。親が子どもを守らず、世間体を守ろうとしたなら、子どもが苦しむのはあたりまえである。子どもが親を頼れず、親が子どもを頼るのであれば、子どもは重荷を感じるものなのだ。その苦しみに、自責感を抱き続ける必要はない。

 母による「ケアすることの支配性」は、しかし、父や男の地位やジェンダーによる権力の不均衡によって生じるものだと著者は明確に指摘する。「権力をもっている存在は、わかりにくい支配などしなくても、存在しているだけで支配できてしまう」のに対し、母はより巧妙な支配によって子どもの内に入り込む。だからこそ、母の支配に気づき、そこから脱するには、自分自身を切り刻まなければならない苦痛をもたらすのだという。

ACが照らすものは、いびつな親子の姿、支配に満ちた家族のありようだけではない。それはまさに「社会」の形であり、社会の価値とありようを問うものである。ACをテーマに、社会の構造を分析し続ける信田氏は、この二五年間を振り返り、自身の変化を「反省、進化、進歩」と述べている。あくなき探求心と発信力、そして、つねに当事者と共にあろうとする臨床家の生きざまを目の当たりにする本である。(のさか・さちこ=大阪大学大学院人間科学研究科准教授・教育臨床心理学) 

★のぶた・さよこ
=公認心理師・臨床心理士。お茶の水女子大学大学院家政学研究科修士課程修了。一九九五年に原宿カウンセリングセンターを設立、所長を経て顧問。著書に『母が重くてたまらない』『DVと虐待』など。一九四六年生。