父のおじさん 作家・尾崎一雄と父の不思議な関係
著 者:田中敦子
出版社:里文出版
ISBN13:978-4-89806-514-3

尾崎作品のサブテキストとして

尾崎の人間としての生命も救った「父」の半生

小谷野敦 / 作家・比較文学者
週刊読書人2022年1月28日号


 半年以上前だが、私は各新聞の連載小説について調べていた。一九七五年までの各紙連載小説の一覧はあるのだが、そのあとがない。そこで私は「産経新聞」に一九六一年から連載された尾崎一雄の「とんでもない」という連載があったのを知り、驚いた。尾崎といえば文化勲章受章者だが地味な私小説作家で、まさか新聞連載をしたとは知らなかったし、全集にもこの小説は入っていなかった。インターネットで検索したところ、ヒットしたのは、田中敦子という人のnoteで、「産経新聞」で「人生劇場」の続編を連載し始めた尾崎一雄の親友の尾崎士郎が病に倒れたので、急遽一雄が続けて書いたのだが、やはり新聞小説はうまくいかず、中絶したらしいとあり、主人公のモデルは自分の父だと書いてあった。そこで国会図書館から、最初の一週間分を取り寄せてみると、東京から九州へ歩いていこうとする青年が描かれており、新聞小説としては立派な筆づかいだった。著者の父山下昌弘は、上野桜木町で子供のころ尾崎の家の向かいに住んでいたが、戦争中に一人だけ伊豆へ学童疎開していた際に、東京大空襲で両親と妹を亡くしてしまい、伯父に世話になり辛酸をなめた。戦後になって山下を何くれとなく世話してくれたのが旧知の尾崎のおじさんで、のち尾崎が文化勲章を受章してテレビの「人に歴史あり」に出た時も、山下の父と、私と同年配の娘の著者も出演したという関係である。

 尾崎の「山下一家」(『光』一九四六年三月)という作品に、この一家のことが書かれているから、本書はそれと、尾崎の自伝『あの日この日』のサブテキストになっていると言えるだろう。私はもとより尾崎の作品が好きで、先ごろ自分の妻を書いた小説にも、尾崎の「芳兵衛物語」をもじって「ほた助物語」という題をつけたのだが、編集者に改題を依頼されて「蛍日和」としたということもあった。愛妻一途に思われがちな尾崎も、最初の結婚では惨憺たる思いをして、二人目にもらったのが松枝夫人で、娘が一枝で、親友の尾崎士郎の娘も一枝、同じころ早大へ入って間違われることもしばしば、二人とも幸い別の姓の人と結婚して別名になったと『ふたりの一枝』に書いてある。だがそれに比すると著者の父・山下氏は十一歳で天涯孤独の身となりつらい少年時代を送ったものだ。だがその尾崎夫人松枝が、尾崎の郷里の下曽我に引っ込んでいて、その日、山下家に誘われつつ自宅へ帰ったことで戦災死を免れ、尾崎の、おそらく人間としての生命も救ったという事実には、運というものを感じざるをえない。実際ここで松枝まで死んでいたら、尾崎の文学も人生も終わっていただろう。私も、もし妻が死んだら自分も生きてはいられないと思っているからそれはよく分かる。

 父はまだ存命なのだが高齢なので、書き残したものをもとに書いているのだが、これなども同年で何一つ書き残してくれなかったわが父などに比べたら実に立派な父だと感じずにいられない。尾崎一雄との関係で父を描くつもりが、途中から父の半生そのものになっていくことを著者はちょっと気にしているけれど、それは十分面白く描けているからまったく差し支えない。ただ、それなら著者自身の半生にももうちょっと踏み込んで良かったのではないかという気がするのと、残念なのは「とんでもない」をちゃんと読んで紹介してくれなかったことである。

 作家の伝記などを書いていると、その関係者についての伝記も調べなければならなくなることがあり、梯久美子の『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』などはその最たるものだろうが、これなども尾崎周辺の重要人物の伝記の一つということになろう。それでは枝葉のように多くの伝記が書かれることになるが、むしろ学術的にはそれが望ましいことなのである。(こやの・あつし=作家・比較文学者)

★たなか・あつこ
=主婦の友社勤務等を経て、フリー。工芸、きもの、日本文化を中心に取材、執筆等を行う。著書に『もののみごと』など。一九六一年生。