豆くう人々 世界の豆探訪記
著 者:長谷川清美
出版社:農山漁村文化協会
ISBN13:978-4-540-21107-2

情熱と愛がつまった旅行記

世界の豆から見えてくる風土と人間

脇坂敦史 / ライター・編集者
週刊読書人2022年2月18日号


 これまで世界六六ヵ国を駆けめぐり、各地で「在来豆」を使った家庭料理を食べ歩いた(走った?)著者の、豆への情熱と愛がつまった魅力的な旅行記。たとえば著者の故郷、北海道遠軽町で今も栽培される「ビルマ」と呼ばれる在来豆があるという。ある章ではそのルーツとされるミャンマーを訪れ、ピーナツやひよこ豆、えんどう豆などを揚げて発酵茶葉と合わせた豆ご飯に感銘を受けたり、現地で「臭い豆」と呼ばれる煎餅状の納豆に出会ったりするが……。

 ところで在来豆とは、何だろう? 日本なら、かつて田んぼの畦に植えられていた、少し不揃いで個性的な豆たち。収穫したら一部をとっておき、次の年また撒く。穀物との相性もよく、人間にとっては貴重なタンパク源。著者によれば、お米のかわりにトウモロコシを育てる国々では、トウモロコシを「支柱」に在来豆のツルがまきついている風景が見られるそうだ。そんなふうに世界中の畑で不揃いな在来豆が育ち、人々の生活を縁の下で支える。広大な農場で栽培され、ときに遺伝子技術の粋を集め、先物取引で乱高下する、あるいは缶詰やパックに入ったきれいなやつとは、同じ豆でもちょっと違う。

 かといって「伝統」などという言葉で飾り立てるのでもない。ほとんどアポなしで「お宅でふだん食べる豆料理をつくってください」と頼みまくる著者のバイタリティに感心しながらも、料理を振る舞ってくれる人々の心の寛さだけでなく、「せっかく遠い国から訪れた客人に豆なんて……」という気遣いや当惑も想像される。本書で何度も指摘されているが、豆には「貧者の食べ物」の側面がある。豊かさを手にした多くの人々が豆の恩を忘れていくのだ。

 チリの肝っ玉母さんたちに自慢の豆料理を持ち寄ってもらったり、エチオピアで豆を盆にのせ上下にゆすって選る姿を観察したり、レバノンで枝豆のように食べるという若いひよこ豆をかじってみたり……。そんな旅の一齣一齣が、かけがえのない風土とともに、どこか共通する私たち「食べる人間」の懐かしい有り様と重なる。もちろん、選りすぐり七〇もの豆料理レシピも紹介。そして、食べるだけではない、飲み物や薬にしたり、装飾品やゲームに使ったり……。各章に、そこから一冊の本が生まれそうなテーマがいくつも隠れている。

 在来豆は人の手から人の手へ種が渡り、料理のレシピが渡る「関係性の作物」と著者は書く。面白いのは、いかにも土着然とした顔の豆たちが、けっこうなスピードで旅していること。おそらくいんげん豆や花豆はアメリカ大陸、ひよこ豆やレンティル(レンズ豆)は西アジアを原産地とし、いずれも世界中に広がり郷土料理となっている。冒頭で触れた「ビルマ」はいんげん豆の一種。長い旅の「中継地」がその名に刻まれているわけだ。それがときに忘れ去られたり、人々の営みや努力によって長く生き延びたりもする。

 ここ二年ほど旅ができず足止めをくらっている私たちにとって、旅へ誘う危険な本でもある。でも、登場する豆やスパイスの一部は通販などで取り寄せることができるし、代用品もある。初めて出会う豆をコンロにかけながら、時間をかけてレシピの行間を旅するのも楽しい。(わきさか・あつし=ライター・編集者)

★はせがわ・きよみ
=有限会社べにやビス代表。北海道・遠軽の老舗豆専門店、べにや長谷川商店の長女として生まれる。北海道をはじめとする全国、そして海外の在来豆と郷土料理を広く知ってもらうことをテーマに、その普及の一貫として、マルシェなどでの販売のみならず、料理教室も定期的に運営する。