本書第二部、著者の丸山眞男論の最大の功績は、〈福澤読み〉としての丸山をその思想史と政治学の中心に据えて見せたことだろう(第六章、第七章、第九章)。丸山はともすれば、西洋近代を理想化し、日本におけるそうした要素の不在を嘆くいわゆる欠如理論の担い手とみなされることが多い。丸山に関するそうしたイメージの流通は、丸山を「論破」するにはヘーゲルやボルケナウ、ウェーバーにシュミットといった種本を精読して丸山の誤読を指摘したり、あるいはそうした西洋産の種本自体の限界を指弾することをもって足りるのだ、という臆断をしばしば伴っていた。だがそうした論者たちは、丸山の専門が他ならぬ「日本」の「政治思想史」であったことを視野の外に追いやりがちであった。ましてや、丸山にとって福澤が単なる思想史の研究対象にとどまらず、その歴史叙述の構造や政治秩序構想の核心にかかわる重要な洞察を与えてくれた思想家であったことに気づくことは稀であった。だがそうした点を踏まえなければ、たとえば「思惟様式としての儒教」といった丸山思想史における重要なテーゼはもちろん、「欲望の体系としての市民社会」(ヘーゲル)と区別される、様々な自発的結社が「Unity in Variety(多様性における統一)」をなすもう一つの「市民社会」の秩序構想が丸山によって選び取られていたことの持つ「意味連関」は理解できなくなる。平石はそのことを実に丁寧かつ緻密に論証していく。それは「愛は盲目」からほど遠い。思えば、丸山自身、福澤に終始批判的な態度を持した服部之総との論争の中で「「あばたもえくぼ」に映る危険」を認めつつ「とことんまで惚れてはじめてみえてくる恋人の真実(……)というものもあるのではなかろうか」と応えたことがあった。本書の第二部、平石による丸山論は、いわば丸山の福澤に対する方法を、著者が丸山に対して応用したものともみなせよう。