旅をひとさじ てくてくラーハ日記
著 者:松本智秋
出版社:みずき書林
ISBN13:978-4-909710-20-8

ガイドブックには紹介されない出会い

イスラムの世界を、食べ歩きで垣間見る

岡根谷実里 / 世界の台所探検家・ライター
週刊読書人2022年3月11日号


 この世界の人々は、誰もが何かを食べて生きている。心がざわつくようなニュースや非日常の風景を画面越しに見る中で、つい忘れそうになる当たり前のことを本書は思い出させてくれます。

 この本には、フィルムカメラを持ってひとり旅に出かけた著者のイスラム圏での食と人との出会いが綴られています。タイトルの「ラーハ」というのは、「労働」と「遊ぶ」のふたつの時間に収まらない第三の時間を指すアラビア語で、生きる上で最も大切な時間とされているそう。かわいらしい装丁で、パタンと開くつくりは手帳のようです。初めて手に取った時の印象は、「旅の日記のようだしさらっと読めそう」というものでした。

 ページをめくると、次から次へと世界各地ムスリムの人々が暮らす地域の、力強さを感じる料理が登場します。私たちの暮らしと縁遠く、なんなら「ちょっとこわい」イメージすらあるイスラムの世界を、散歩しながら、食べながら、垣間見させてくれるのです。

 笑ってしまったのは、呆れるほど大量のフライドポテトをはさんだパン。マックのポテトLサイズ二つ分はゆうにありそうな量がはさまれたそれは、レバノンのサンドイッチ屋台で渡されたものだそうです。写真で綴られるその現実は、もうすがすがしいまでに思い切りがあって。旅先で出会うひとつひとつの食べ物について、それを作ってくれたお母さんや渡してくれた屋台のおじさんのエピソードも、ひとつひとつチャーミングで頬がゆるんでしまいます。

 中国の西安やポルトガルのアレンテージョ地方では、パンに挟まれた豪快な豚肉料理も登場。イスラム圏なのに豚肉?と不思議に思ったのですが、考えてみればムスリムでない人たちも大勢その土地には暮らしているわけです。「イスラム」という言葉から感じる、どこか隔絶されたような縁遠いイメージを、肉汁滴る食べ物のシーンを通して軽々と超えてくるのです。

 そんな明るくておいしくて、あっけらかんとした旅で進んでいくのかと思いきや、読み進めるうちに心臓をぎゅっとつかまれたのは、シリアのページでした。時は二〇一八年。内戦勃発を経て、一四年ぶりにこの土地を訪れた著者の目に映ったのは瓦礫だらけの街。その中を歩きながら、思い出の店を訪れミルクプリンを食べ、そこに暮らす人々のやさしさに触れ、食べては想いがあふれ、目を背けたくなるくらいにリアルな言葉を受け止めて、旅の道のりは進んでいきます。

 私も、世界各地の台所を目指して各地を訪れていますが、内戦さなかの荒れた土地には訪れたことがありません。こういう状況に置かれたら、自分はどう反応するのだろうと、読み進めながら考え込みました。過剰に感傷的になって何もできないだろうか、政治や歴史に憤るだろうか。しかし本書の著者は、ミルクプリンの店にたどりついてぼろぼろ涙を流したり、瓦礫だらけの色のない風景を前にシャッターを押せなくなったりしながらも、大義を振りかざすことなく、歩き、出会い、笑い、お腹いっぱいになり、一人の旅人としてそこに生きる人々の生き様と食べ物を日記のように記録しています。

「瓦礫だらけの街中をたくさんのパンを抱え家路に向かう人や、おいしいお店に並ぶ人たちの姿もまた、瓦礫だらけのアレッポの姿と同じくらい鮮烈だった。人はごはんを食べる。食べるならおいしい方がいい。そういった人のみずみずしい意欲は、私がシリアで感じた光だったと思う」。そんな著者の言葉に、勇気をもらいます。

 旅は再び明るみに転じ、ロシアへ。ここでも、エネルギーあふれる日々の食に出会っていきます。どんな暮らしにも食があり、楽しい、おいしいといったポジティブなものだけではない、さまざまな感情や記憶がそこにはあることに、はっとさせられます。

 本書で紹介される食べ物は、必ずしもその国の代表料理や美しい伝統料理というわけではなく、街の食堂や屋台で食される、日々のエネルギーを得るための日常食が多くあります。ガイドブックや料理本には紹介されないイスラムの食と人と出会い、世界の見え方がちょっと広がるような一冊です。(おかねや・みさと=世界の台所探検家・ライター)

★まつもと・ちあき
=働きながら旅を続け、定期的に旅の写真展を開催している。風景はフィルムのコンパクトカメラ、ごはんはコンデジで撮影。一九七七年生。